マサ・タケダ


1980年1月22日生まれ。AB型。一人っ子。
高校時代からロックバンドで活動。メンバーチェンジや結成、解散、崩壊を幾度か繰り返した挙句、演奏に楽しみを見出す事ができなくなり2004年の夏をもって、音楽活動完全休止。
そして某スーパーマーケットに就職。
以後、音楽は聴くものであり、ジャズやジャンプブルースのレコードをコレクションして、生きていくことを心に決める。
オーディオの世界にも目覚め、サラリーマンのサラリーやボーナスをそちらにつぎ込む。
部屋は意外と簡単に埋まる。
スピーカーを鳴らすんやない、部屋を鳴らすんや!と実家で能書きを垂れていた。
2008年、会社の休みをとって、一人旅。ネットで知り合った音楽仲間に会う為、熊本人吉ベアーズカフェに赴く。
その時、マスターのミック吉村氏の車の中でかかっていた「久保田麻琴と夕焼け楽団」の音に心が響く。
その年の秋、偶然にも一回だけの再結成ライブが川崎で行われた。これや!と、会社の休みを再びとって川崎へ。それがきっかけで、アメリカンルーツミュージックの世界にどっぷりと浸る。
同時にその頃、片山明氏(後にハウリンスカイというジャグバンドでも一緒に活動し、マサのソロレコーディングにも参加していただく)の著作「小さな町の小さなライブハウスから」にタワーレコードで出会い、JOHN SEBASTIANやBOB DYLAN、GRATEFUL DEADから、BLIND BLAKE、高田渡さんや中川五郎さんの日本のフォークまで、様々なアメリカ音楽の派生に視野を広げる。
2009年夏、ウズウズしはじめる。ライブがしたい、ライブがしたいと夜中にうなされる。
「よし!バンドは大変やから一人で気楽に歌おう、誰に受けなくてもいい、自分のやりたい事やりたいようにやろう」と、ギブソンJ―45を突然購入。
5年のブランクは練習でカバーする為、毎夜アホみたいにギターを弾く。
そうして音楽活動を再スタート。
サラリーマンの仕事には行っていたが、今思えば上の空で惰性な仕事であったと思う。申し訳ない。
2009年11月、十三テハンノのオープンマイクで初ライブ。テハンノのレベルの高さは弾き語り初心者には恐ろしく、世間の広さを思い知る。
2010年7月、京都で故マンボ松本さんのオープニングアクトを務める。
2011年2月、人生初のワンマンライブ。
2011年9月、ファーストアルバム「マサ・タケダ始まりの歌を歌う」を発表。
ライブが徐々に盛んになり、中川五郎さん、村上律さん、またアメリカのミュージシャン、ナタリア・ズッカーマン&スクラッピー・ジャド・ニューコムさんと、共演機会をいただき、世界の広さを思い知る。
2012年10月セカンドアルバム「夜明け前に」発表。
2014年6月、長見順さん&岡地曙裕さんのオープニングアクトを兵庫県の須磨で務める。
長見さんのフルアコの演奏を聴いた時、これは面白いと、現在の愛機ギブソンES-125を御茶ノ水で半衝動的に購入。その晩のライブでいきなり使い、自分で自分のギターの音の出し方がわからずにびっくりする。
2014年12月サードアルバムであり、ピアノボーカルのYUEを全面に押し出したマサ・タケダ+YUE名義で「ペーパームーンと空の下」発表。
現在は、50代からロックなバンドがやりたいと思いつつも、ジャズとジャンプブルースを聴くだけの5年間の蓄積は自分の中で大きかったようで、家にジャズのギターやピアノの教則本がやたらある事がわかった為、最終的に自分なりのジャズをギター弾きながら歌えるようになり、それが誰かの目に止まり、レコードになったらいいよなぁ等と遠い目をして思いながら、マイペースかつ精力的にライブを続ける。